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月刊【ダートスポーツ】編集部の公式ブログ。様々なモトクロス・エンデューロ情報はもちろんのこと、取材時の裏話や新商品、各地のレース情報などをアップします。海外ネタなど、雑誌よりも早い情報もアップしていきます。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一

ダートスポーツスーパーバイザーの宮崎です。
調べ物をしてバックナンバーをひっくり返して見ていた時に、あるライダーの記事、写真で当時の記憶が蘇ることがあります。
その中でも加賀真一選手は、私の全日本モトクロス取材経歴、つまりダートスポーツ入社からの時間の流れの中に、大きな杭を打つかのごとく、強烈な記憶を植え付けてくれました。

ある流れを追うためにバックナンバーを見返していたんですが、彼の活動は、時代の中に埋もれるなんてとんでもなく、
自分の作った道を堂々と走り抜けている。
そんな印象を、改めて、今回感じたのです。


最初に顔を合わせたのは確か1998年か1999年の全日本最終戦HARP。セキレーシングモトロマンのパドックで、会釈をするくらい。
それまでモトクロスの取材経験がほぼ皆無だった私は、その時に加賀選手の素朴な?人柄が結構印象に残っていたりします。
その時は「ああ、IAライダーなんだな」くらいの知識しか持っていません。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


その後、もちろんモトクロスのトップライダーとしての印象が強まっていくわけですが、SRF(スズキ)に移籍し、全日本も真剣に戦いながら、FMXのトレーニングにも情熱を注いでいました。藤沢終了後、ダイスらの車の後について行き、一緒に途中で飯を食い、風呂に入り、秋田まで。
その夜はダイスの家に泊まらせてもらい、加賀兄弟とは翌朝に合流。まだMOSHRIDEも開催される前、エアライブサーカスを前に特訓していたのでした。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


なんか、とにかくかっこいいライダーで、だいぶ年上の自分からしたら可愛いところもあるなという印象の加賀選手。
しかし2002年はすごかった。

2003年にカワサキがKX250F-SRを溝口哲也選手に託し、開幕から圧勝。
時代は4ストへ完全移行寸前の2002年。
加賀選手はRM125で、YZ250Fに乗る渡辺学選手らと真っ向勝負。同じくスズキ(マウンテンライダース)の小島太久摩選手らと熾烈な争いを展開しながらも、強さを発揮していきました。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


何がかっこいいって、そのスタイル。フリースタイルなファッションを身につけながら、実は超ストイックでレースでぶっちぎる。
その格好良さは、際立っていたのでした。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


かくして初のIA125チャンピオンに輝いた2002年。
タイトルの「しょっぱい」という表現は、最終戦前の広島で、緊張のあまり不甲斐ない走りをしてしまったから。
あの時の硬さは、今だに覚えてます。周りからも揶揄され、散々からかわれる加賀選手でした(笑)。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


この年のスズキはすごかったです。IA250の成田亮選手やIB125の小島庸平選手もタイトルを獲得。

そしてスズキ躍進復活を遂げた吉村太一監督から、故 馬場善人監督へのバトンタッチが翌年行われました。
馬場監督は加賀選手、そしてメカニックとして砂田彰氏を迎え、ここからまた伝説が始まりました。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一



自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


砂田氏の語るこの当時の話は、本誌でもインタビューを掲載いたしました。
異端児の砂田氏がスズキという大会社、加賀選手と共に活動し、組織の中で認められ、信頼を掴むまでの話がめちゃ面白くて。
実はシンプルにスナダオートさんを取材しに行ったら、思わずメカニック物語を書くことになり、それがきっかけで『砂煙の追憶』というコーナーが生まれました。


2004年の名阪、ついにIA250で優勝をした加賀選手は、表彰台の上から男泣きし、砂田メカへの感謝の言葉を発していました。
自分を信じてくれてありがとうと。
ファインダーを覗く私も、視界がぼやけました。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


北海道に帰るという砂田メカをタンデムして、パレードラップを走る加賀選手。
プライベートチームでも馬場監督から譲られたトラックを黒塗りにして、とにかくかっこよかった。本当にいいコンビでした。
(訂正:砂田氏が馬場監督から譲られた大型トラックはそのままのカラーで使用されていました。加賀選手のK&Sブラック色のバスは別の車両でした。失礼しました!)

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


そして2008年、現役を引退。
引退レースの最後の一枚を意識して撮ることがあります。これが本当に最後だなと。
熱田孝高選手もそうでした。そしてこの加賀選手のこの一枚が、現役の姿の最後の一枚。

自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一


自分の時代を駆け抜けたライダー、加賀真一
最終戦は各パドックでチャンピオン記念撮影などが行われ、いつしか真っ暗になるのですが、
SUGOの第3パドックを通ると、SRFチーム関係者が名倉氏を中心に皆集まり、締めの挨拶をしていました。
加賀選手には花束が贈られ、男泣き。
あ、またファインダーが滲む。。


藤沢ではぶっちぎって、最後のジャンプでメイクしてクラッシュ。それでも余裕で勝ったり、世界選手権モトクロス(SUGO)ではレースに参戦しながら、昼休みのFMXを飛んだり。

とにかく楽しく、カッコよく、熱いライダー、加賀真一を思い出した今日でした。

昨年はキメラでFMXライダーとして久々に再会、取材しましたが、いつか、またお会いしたいものです。
いつまでも私の中でかっこいいライダーである、加賀真一に。








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この記事へのコメント
‪この頃の全日本が好きでした!‬
‪溝口選手は2003年で田島久誌選手が2001年だったかと
Posted by 沖田 at 2020年05月10日 02:04
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