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月刊【ダートスポーツ】編集部の公式ブログ。様々なモトクロス・エンデューロ情報はもちろんのこと、取材時の裏話や新商品、各地のレース情報などをアップします。海外ネタなど、雑誌よりも早い情報もアップしていきます。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』

こんにちは、ダートスポーツスーパーバイザーの宮崎です。

今回、ダートスポーツバックナンバーから取り上げるのは、ジェレミー・マクグラス選手。
私と同年代のライダーですが、私の最大のアイドルです。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』



バックナンバーは1996年。プロサーキットホンダ時代から125ccで活躍し、1993年〜1996年、ホンダワークスライダーとして4年連続スーパークロス250ccタイトルを獲得した、アメリカンモトクロスのヒーローです。

すでにライバルを圧倒する速さを見せていましたが、1996年はなんと15戦中14勝。Rd.14セントルイスのみ、翌年1997年のチャンピオンとなるジェフ・エミグが優勝。とにかく強すぎるライダーでした。

筆者もマクグラスに夢中になりました。当時林道ツーリングonlyライダーだった私は、マクグラスの影響でスーパークロスが大好きになりました。
NHKの衛星放送で東福寺保雄氏の解説を楽しみに、毎週見ていました。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』


当時は決勝スタート前に、MCがグリッドに並んだ全員の一言コメントを求めていましたね。関係ないですが、125ccのブライアン・ディーガンは、このコメントでもクレイジーで異端児。めちゃ大ファンでした。のちにFMXのスーパースターになり、今息子さんがアマチュアライダーとして活躍中。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』


マグラ(日本ではそう呼びましたね)は勢いが止まらず、デイトナも優勝。

1996年といえばデイモン・ブラッドショー復活も注目されましたが、ファンの期待には答えきれない結果となりました。

バックナンバーを探しましたが、残念ながらNacNac(ナックナック)の写真がありませんでした。
マクグラスは勝利を確信した最終ラップやフィニッシュジャンプで、ナックナックという技を決めるのです。これがまた格好いい!!!!
NacNacとはCanCanの綴りの反対。だからアクションも、足を内側に入れるCanCan(もちろんフレンチカンカンの動きですよね)の反対、片足を大きく後ろに回すスタイルです。

スポーツにおいてあまりにも強いライダーは、「面白みがない」とか言われがちで、とかく判官贔屓になりがちですが、マクグラスの人気は不動でした。魅力はそのスタイル。ショーマンシップ! いつか書きますがFOXテラファーマなどのVideoでも格好いい姿を見せてくれています。

人は彼のことを
Show Time
と呼び、愛しました。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』


アメリカだけでなく、ヨーロッパ(モトクロス・デ・ナシオン)でも活躍。パリベルシーSXでもスターライダーでした。
日本へもジャパンスーパークロスで勇姿を見せてくれましたね。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』



1997年、マクグラスはスズキへの電撃移籍を行いました。
ホンダはついにアルミフレームのCR250Rを発表。スズキは正立フロントフォーク採用のRM250で参戦しましたが、マクグラスは特別に倒立フロントフォーク仕様で参戦しましたね。チームメイトのマイク・ラロッコは正立で苦しんでいた印象。

この年も手に汗握ってマクグラスを応援しましたが、優勝目前でパンクなど、不運にも見舞われ、シーズン2勝に止まり、勢いに乗るエミグにタイトルを奪われました。
125ccでは天才少年として注目されたリッキー・カーマイケルが、スーパールーキーとして衝撃の登場。

1998年からマクグラスはヤマハに移り、2000年まで3年連続スーパークロス250ccタイトルを獲得。この期間もホンダのエズラ・ラスクやミカエル・ピション、ケビン・ウィンダムやセバスチャン・トーテリなどそうそうたるライバルがいましたが、撃破していったのです。

そして、私が初めてダートスポーツとしてスーパークロス現地取材をした2001年最終戦ラスベガス。
すでに250cc3年目のカーマイケルがライダーとしての取り組みの成果をみせ、シーズンをリード。地元の大声援を受けたマクグラスがレースをリードしていましたが、猛追したカーマイケルのプレッシャーに敗れてスリップダウン。完全なる敗北の瞬間、会場は悲鳴が湧きました。
私の目の前の子供はもう泣きそうに叫んでいました。

レースが終わり、ライダーも関係者も会場を後にした深夜のパドックで、労いにきたファンに一人一人挨拶していたマクグラス。
最後に彼のキャンピングカーに快く入れていただき、率直な気持ちをインタビューさせてもらいました。
私個人の気落ちとしては、「見ていてくれ、来年返り咲いてやるから!」という言葉をどこかに期待していましたが、悲しいくらいに、穏やかな表情で負けを認めていた姿に、

1つの時代が終わったんだな
と感じざるを得ませんでした。

その後もPart Timeというロゴをお尻につけてスポット参戦したり、X-Gamesのモタードで接戦を演じたり、ショーマンとしての才能も遺憾無く発揮してくれました。

90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.4)『Show Time マクグラス』


当時のキッズライダーにとっても憧れの存在だったマグラ。

いつまでも、心のヒーローとしてのマクグラスは生き続けています。



 
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