90年代のオフロードシーンを思い出す(Part.3)『幻のレース』

ダートスポーツ スーパーバイザーの宮崎です。
私がオフロードバイク専門誌の編集を始めた1995年、日本全国でエンデューロなどのイベントが多数開催されていました。
先輩たちが『じゃあ、カムロ行ってくるね!』とか、『来週の女神湖、どのマシンで出ようか?』なんて会話しているのを聞いて、いつか自分もと思い、始めたエンデューロ。
いつか出ようと思いながら、そのレースが消滅し、幻のようになってしまったものも多数あります。
全く関係ありませんが、『次回武道館に来たら必ず行こう』と思っていたら、フレディ・マーキュリーが急逝してしまい、ついに行けなかったQUEENのライブ。
「いつか」、はもう来ないこともあるのです。
そんな一つが

レイドカムロ。1986年から始まった山形県金山町で開催されたエンデューロ。
1997年にファイナルとして開催。
真夏に岩ゴロゴロの河原を走るレースは、当時の私にはハードルが高すぎて、行こうという気持ちにはなりませんでしたが、エンデューロレースに多数参戦するようになり、ふと思い出すのです。
『ああ、カムロ、一度は行きたかったな』と。
1994年11月号は、エンデューロ大特集。私も20代の頃、別媒体の立場でしたが、色々お世話になった「ひまわり軍団」の森脇さんらが、熱いメッセージを投稿されていました。

750台という驚異的な参加者が集まりました。ネット社会ではない時代に。
思い出したのは、2009年JNCC開幕戦のパンゲア淡路島。700台エントリーに湧き、現代に通じるエンデューロブーム復活の狼煙が上がったと私は感じています。
この記事はカムロを愛するからこその提言、意見が熱く書かれています。私はこのイベントに対して、経験や知識もないので、ここに書かれている内容に関しては言及できません。ただただ、一度出てみたかったということだけ。

名物、うさぎ飯を食べてみたかった。先輩が「本当にシンプルなご飯なんだけど、それがいいのよ(女性の先輩方も多数エンデューロに参戦されていた)」と教えてくれました。

同号には、マイウェイ 24時間エンデューロも特集。今でも弊社社長が時折話す、このレース。それだけインパクトが強い経験だったのでしょう。

石井正美師匠など、そうそうたるメンバーと社長は組んで、激走していました。
実はこのレース、1999年にダートスポーツ編集部に就職して間もない私も参戦しているのです。岩手県のマウンテンコースを真夜中に失踪する感覚、エンストしたら(RMXのため)真っ暗闇になること。そのため反射シート必須なこと。明け方から昼間の眠さと疲労。ゴールした時の尋常でない筋肉痛と安堵感。すごいレースでした。

この年、総合優勝はダートスポーツチームでした。そして最大のライバルが、Mr24時間、HIRO RACINGの渡辺正弘さん達のチームで、2位。
渡辺さんと言えば、定義2DAYS主催でもおなじみの、エンデューロタフガイ。
全日本モトクロスSUGO大会などで、ワールドキッチンを出店されている渡辺さん。
今の若いライダーの皆さんは、渡辺さんが凄いライダーであったことを知らないはず!
他にもブランシュ高山、木古内2DAYS、カブトムシエンデューロ、コンクヘッズなど、出てみたかったレースは多数。
出られる時に出る。
それが大事ですね。
最後に私も2回参戦したことがある日高2デイズエンデューロ。この伝統ある公道を使ったレースは、様々な問題を抱えたこともあったと思いますが、現在も継続されています。この先の継続への強い意志も、主催者のお言葉から感じられます。
スタッフや地元のボランティア、山の中のコースや舗装路などに極力インパクトを与えないために、現在のロングコース(1周を長くすることで、路面へのダメージ、スタッフの拘束時間を低減させる)というスタイルになっています。
継続させることの難しさもまた、これらのレースイベント、バックナンバーは思い起こさせてくれたのでした。
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