IAワタライのBACK TO 90's(Part1)
本誌レギュラーメンバとして活躍中のモトクロス&エンデューロIAライダー、JNCC AAライダーのIAワタライが振り返る
思い出のアルバム。今回は第一回!


おそらく89年くらいで小学生3年生くらいのとき。マシンはKX60。
私はいわゆる“キッズあがり”ですが本格的にレース出始めたのは80ccになってからで、50、60時代はファンライドでした。
このときはまだ父親も乗っていたし。趣味程度ですが。
キッズ時代に「あのジャンプ飛べ」と言われたこともなかったし、ぶっ飛ばされたこともなかったし、そういう父親でした。
特に50・60時代は好き勝手にのんびり走っていて楽しかったです。
ファッションで言うとこの時代はジェットヘルのユーザーのが多かったです。キッズワタライも。
当時はカワサキワークスの岡部篤史さんに憧れていて、このSCOTTのベンチュリーフェースガードは確か岡部さんのマネをしていたと思います。
ウエアはこのように白ベースの物が多かったですね。
ちなみにこの写真ではジャージ:GOLDWIN、パンツ:SINISALO、グローブ:WINDY。全部バラバラ(笑)

KX80に乗り換えていますね。
まだキッズスーパークロスなどには出ていなくて、レクリエーションで乗っていた時期です。
これは現在の千葉県茂原ツインサーキットが、茂原モータースポーツランドだった時代。
オフロードコースもあってそこで開催のおそらくYESSのエンデューロ。
当時はYESS(ヤマハ)、KAZE(カワサキ)、HART(ホンダ)、JAJA-UMA(スズキ)など国内4メーカー主催の草エンデューロが盛んでした。
だいたいが4時間と90分とかの2レース。


実家がバイクショップだったので、店のお客さんを引き連れて参加して、自分もそれに便乗してよくメーカーのエンデューロに出ていました。
今みたいな難所とかはなくてモトクロスコースを長くした耐久モトクロス的なレースが多かったですが、この時代の出場台数は半端じゃなかった記憶が。
このときの主要車種でいうとDT200、CRM250R、KDX200SR、TS200R、RMX250Sあたりですね。
(続く)
思い出のアルバム。今回は第一回!


おそらく89年くらいで小学生3年生くらいのとき。マシンはKX60。
私はいわゆる“キッズあがり”ですが本格的にレース出始めたのは80ccになってからで、50、60時代はファンライドでした。
このときはまだ父親も乗っていたし。趣味程度ですが。
キッズ時代に「あのジャンプ飛べ」と言われたこともなかったし、ぶっ飛ばされたこともなかったし、そういう父親でした。
特に50・60時代は好き勝手にのんびり走っていて楽しかったです。
ファッションで言うとこの時代はジェットヘルのユーザーのが多かったです。キッズワタライも。
当時はカワサキワークスの岡部篤史さんに憧れていて、このSCOTTのベンチュリーフェースガードは確か岡部さんのマネをしていたと思います。
ウエアはこのように白ベースの物が多かったですね。
ちなみにこの写真ではジャージ:GOLDWIN、パンツ:SINISALO、グローブ:WINDY。全部バラバラ(笑)

KX80に乗り換えていますね。
まだキッズスーパークロスなどには出ていなくて、レクリエーションで乗っていた時期です。
これは現在の千葉県茂原ツインサーキットが、茂原モータースポーツランドだった時代。
オフロードコースもあってそこで開催のおそらくYESSのエンデューロ。
当時はYESS(ヤマハ)、KAZE(カワサキ)、HART(ホンダ)、JAJA-UMA(スズキ)など国内4メーカー主催の草エンデューロが盛んでした。
だいたいが4時間と90分とかの2レース。


実家がバイクショップだったので、店のお客さんを引き連れて参加して、自分もそれに便乗してよくメーカーのエンデューロに出ていました。
今みたいな難所とかはなくてモトクロスコースを長くした耐久モトクロス的なレースが多かったですが、この時代の出場台数は半端じゃなかった記憶が。
このときの主要車種でいうとDT200、CRM250R、KDX200SR、TS200R、RMX250Sあたりですね。
(続く)
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